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映画鑑賞記録
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鑑賞日 2010年8月29日(日)
場 所 ル・シネマ
監 督 ブルース・べレスフォード
製作年 2009年
製作国 オーストラリア
原 題 Mao’s Last Dancer

実在のバレエダンサーの自伝を元にした映画。予告編を見て、なかなか本格的なバレエシーンもあるということで見てみることにした。主人公リー・ツンシンは1961年、中国山東省の小さな貧農の7人兄弟の6番目の子として生まれる。中国は1979年から人口抑制の為に一人っ子政策推し進めたが、その前は「産めよ増やせ」と全く逆の政策をとっていた。人口が多いことが国の力になると考えていたからだ。だが、人民公社制度はうまくいかず、1960年代後半から1970年代前半の約10年間、中国は文化大革命という嵐の時代にあった。映画の中にも、この時代の様子が描かれている。この「文化大革命」がどれほど中国の人々に大きな影を落としたかを真の意味で今の私達が理解することは難しいと思う。

日本国憲法14条で「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とされている。基本的にどんなに政府の政策批判をしても逮捕されたりすることはない。ましてや、親が金持ちだったとか、親戚に学者がいるとかいうことで、逮捕されることも批判されることもない。ところが、「文化大革命」の時代、政府批判をしただけで、殺されたり、辺境の収容所に送られ強制労働させられたりしたのだ。映画の中でも主人公の家柄が問題にされる場面がある。当時、富裕な家やインテリは出自が「悪い」とされた。信じられないけれど事実である。たくさんの知識階層が殺され、少数民族地区でも伝統的宗教建造物が破壊され僧侶達が粛清された。そういう背景を知らないと、この映画の中の主人公がアメリカに亡命する選択が、どれほどの苦悩の末に選びとられたものかがわからない。

何か人知の及ばぬ大きな力に選ばれた人間というものがいるのかもしれないとときどき思う。中国のド田舎に生まれた主人公が、まず北京の舞踏学院の生徒として選抜された事も、その後、彼の才能を見抜いた指導者に励まされ努力したことも、アメリカに渡ったことも、普通に考えたら在りえないことなのだ。多くの偶然と、主人公の努力と、様々な人との巡り合いが、彼の人生を導いて行く。

非凡な人生に人は驚き、その成功を賞賛する。しかし、その裏にある苦しみや哀しみを理解することは難しい。主人公の最初の妻のセリフがとても悲しい。

「あなたは私を愛しているから結婚したの?それとも、アメリカに残りたいから?」
「もちろん君を愛しているからだよ」

最初の妻はアメリカ人であり、まだとても若かったから、彼が背負っているものを理解しきれなかったのだろう。しかし、彼女と巡り合った事で主人公は、自由のなんたるかを知ったはずだ。

バレエシーンはバレエ団の協力を得て撮影されたもので、本格的で見ごたえがある。現役のプリンシパルが演じる主人公も魅力的だ。様々な見どころのある映画だったと思う。

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鑑賞日 2010年8月17日(火)
場 所 MOVIX さいたま
監 督 リー・アンクリッチ
製作年 2010年
製作国 アメリカ
原 題 Toy Story 3

ジブリとピクサーはとかく比較されるが、今年は「アリエッティ」と「トイストーリー3」が同時期公開となっている。2作をさほど間を開けず見たのだが、それぞれに特徴があってなかなか面白いと思う。

ジブリ作品は海外でも公開されるのだろうけれど、主なマーケットはやはり日本なのだと思う。日本に生まれ、日本語を母語とし、日本の湿った空気の中で育った人間の感覚に依拠した表現が中心となっている。

セルアニメ2D作品とCGアニメの3Dという違いもあるけれど、両方の作品を見てまず感じたことは、キャラクター達の表情の作り方や感情の表し方が全く違うということだ。日本語以外の言葉を話し、全く異なる文化、気候風土に育った人間の感覚は、違って当然なのだと思う。しかし、これほど鮮やかに違うとは。

「借り暮らしのアリエッティ」は日本が舞台になっているし、小人の名前こそ西欧風だけれど、アリエッティもその両親もどう見ても日本人の行動様式なのだ。感情表現もアクションも淡々と地味なのである。ジブリ作品の中でも、特にそういった傾向の強い作品のように感じた。それは、もしかするとわざとそうしたのかもしれないと思われるほどだ。だから、感情を読みとる感度が低い人がみると、登場人物たちが今どんな感情を持っているのか、とても読みとりにくいものかもしれない。登場人物の表情の淡泊さに比べ、背景を含む自然描写や舞台となる家の佇まいのなんと繊細で緻密で雄弁な事だろう。もしかして、制作側の力点は、人物より圧倒的な自然や背景の方にあったんじゃないかとかんぐってしまうほどに。

では「トイストーリー3」は?と言えば、舞台はアメリカ、当然登場人物はアメリカ人だ。感情表現は明快、起伏にも富んでいる。ハラハラドキドキの場面展開は最初から最後まで飽きさせない。誰にでも分かりやすい感情の表現がそこにはある。分かりやすさというのが、世界中をマーケットにするにはやはり重要なのだと思わずにいられない。それにしても、バービーちゃんとケンのやりとりは笑えた。子供のおもちゃとは思えない大人のバカップルぶりなのである。特に、ケンの表情がいい。アホなあんちゃんっぽくて。そして、バズのモード設定が変えられた時の動き。私たちはフラメンコの動き=スペイン人と刷り込まれているのだな改めて認識させられる。日本人らしい動き、アメリカ人らしい表情。やはり根底にある者によって表現は違うのだなあと感じいる。

アンディ少年が青年へと成長し、おもちゃ達と過ごした時間を大切な思い出として心にしまい、訣別していく心情は万国共通のものだろうし、とてもきめ細かく表情も作られていて感動した。子供のしぐさや行動も、保育園の様子も、良く観察されて唸らされる。娯楽作品としては、どうもこちらの方に軍配が上がるように思う。

日本はガラパゴス化していると言うけれど、この世が全てアメリカナイズされてもつまらないと思う。単純明快もいいけれど、割り切れない曖昧で混沌としたものもやはり魅力的であるので。






鑑賞日 2010年7月19日(月)
場 所 ル・シネマ
監 督 パスカル・ボニゼール
脚 本 同上
原 作 アガサ・クリスティー 「ホロー荘の殺人」
製作国 フランス
製作年 2008年 
原 題 Le Grand Alibi

アガサ・クリスティー生誕120年記念作品とのこと。ご多分にもれず、アガサ・クリスティーのミステリーの何冊かは学生時代に読んでいるはずだが、原作となった「ホロー荘の殺人」は読んでいない。

ミステリーなので、ネタばれをしては申し訳ない。筋書きはあえて書かないことにしておこう。

種明かしをされてしまえば、やっぱりねえというオチなのですよ。でも、そこに至るまでの登場人物たちの心の葛藤や機微というところが見どころなんでしょう。

殺人事件の現場となったのは、上院議員アンリ・パジェスの離屋ありプールありの美しいお屋敷。この上院議員夫婦のやりとりがなかなか面白い。シリアスな場面なのに、ついクスッと笑ってしまう。

ボンドガールを演じた事もあるカテリーナ・ムラーノ演じる、イタリア人女優さんもなかなかいい根性していて面白い。さすが元ボンドがールだけあって、肉感的な魔性の女っぷりがすごい。横顔が、なんと言うか、ギリシア・ローマ型なんですよ。額からまっすぐ通る鼻筋!彼女の運転手(兼愛人?)の容姿もまた、イタリアン~な感じでなんとも濃い。

マチュー・ドゥミ(ジャック・ドゥミ監督の息子!)が演じる狂言回し役のフィリップは、アル中気味で不安発作もちの情けない作家。この彼のなんとも情けない感じがまたよろしい。

正直、ミステリーとしての魅力はどうかなあと思いましたけど、登場人物の複雑な人間関係から生まれる愛憎劇っていう点ではまずまずかも。

それにしても、アガサ・クリスティーってイギリスの作家でしたよね?まあ、聖書とシェイクスピアの次に良く読まれている作家と言われるほどだそうですから、おフランスで映画化されてもおかしくはないのでしょうけど・・・・。



観賞日 2010年7月11日(日)
場 所 銀座テアトルシネマ
監 督 トーマス・アルフレッドソン
制作年 2008年
制作国 スウェーデン

初めて見るスウェーデン映画。そして、ヴァンパイア映画。スウェーデンとヴァンパイアという組み合わせがとっても意外な感じがする。

少女のヴァンパイアと言えばまず思い出すのが、萩尾望都さんの名作「ポーの一族」のメリーベル。メリーベルに恋する少年と言えば、金髪の少年アラン。

主人公オスカー(劇中、オスカルって呼ばれているのに字幕がオスカーになっているのはなぜだ?スウェーデン国王にオスカル1世・2世がいるのだから、オスカルでいいじゃないか!あまりに有名なマンガキャラクターが存在するせいだろうか?)はプラチナブロンドに水色の瞳、透けるように白い肌に赤い唇のいかにも北欧的美少年!ヒロインのエリは黒髪にグレーの瞳の美少女と言うより何とも言えぬ魅力をかもし出している少女である。

すでにハリウッドでリメイクされ、この秋全米公開になるそうだが、この映画の持つリリカルで繊細で青いエロチシズムみたいなものをハリウッドで表現できるのだろうか?

この映画はなんといってもオスカー役とエリ役の子役がすごくうまい!特にエリ役の子は撮影当時12歳というのに、200年間生き続ける少女の何とも言えないふてぶてしさと哀しさを併せ持った表情をちゃんと出しているんです。ただきれいっていうのではなく、多分、幾人もの男を虜にして自分を守らせてきたんだろうだろうなあ・・・って納得させられるまがまがしさ!!

クライマックスのプールのシーンは思わず「あ!!!」と声が出てしまうほど衝撃的。

オープニングのシンシンと降り続く雪のシーンから、ラストのオスカー少年の幸せそうな微笑みまで、画面に引きつけられてしまいました。

一緒に映画を見た某嬢からの情報によると、ヴァンパイアは他人の家に許可なくして入ることができないそうです。このお約束を知らないと、ちょっとわからない場面があります。日本の怪談でもお約束ごとってありますが、ヴァンパイア映画を見るにもそういうものがあったのね~。

ハリウッドリメイク版はどんな風になるのだろうか?見てみたいと思いつつ、とんでもないものだったらどうしよう?舞台設定やオスカーとエリの設定をどうするのかなあ・・・?まあ全米での興業成績が良ければ、来春あたり日本でも公開されるかもしれません。

鑑賞日 2010年6月19日(土)
場 所 岩波ホール
監 督 ローラン・カンテ
製作年 2008年 フランス 第61回カンヌ映画祭パルムドール受賞


この映画には一切BGMが入っていない。入念に練られた「作品」でありながら、ドキュメンタリーと錯覚させられそうになるほど、リアルに仕上がっている。

パリにある公立中学校の一クラスでの出来事を追っていく。明確な物語を描くというより、フランスの教育現場が抱える様々な問題や子供達が置かれている現実を淡々と描いているように感じた。

そもそも公教育という概念が普及したのは18世紀後半からだ。19世紀に近代的な国家という概念が生まれ、同時に国民を均質化し国民としての自覚と結束を促すため「教育する」公教育も普及していく。その前までは、主に宗教団体が良き信徒を作るために行うものであり、私的なものでしかなかった。

日本も明治維新後義務教育が制度化され、国家による公教育が普及していく。そもそも「教育」の主体者とは誰なのだろう?18世紀後半、日本は世界でも最も識字教育が普及した国だったという。寺子屋が普及し、親たちは子供との相性を見極めながら、寺子屋の師匠に子供を預けたという。

現役高校教師の友人と一緒に見て、観賞後、今普通の高校で起きているさまざまな出来事を聞いた。学校現場で起きている事は、それは子供だけの問題ではなく、親たちの問題や社会の問題がそのまま子供達に投影されているとしか思えない。

教育は学校でなされるものと思いこんでいすぎはいないか?子供達は家庭の中でも、社会の中でも教育されていく。

この映画は、何も結論を語らない。そこにある現実を、より整理された形で見せてくれるだけだ。その現実から何を読み取るのかは見る者にゆだねられている。

ラストの突き放し感はやっぱりフランス映画。
完全にBGMがない映画は不思議な感覚だった。
音楽が持つ感情作用というものを改めて感じたりもした。
観賞者は教育関係者とかが多いのだろうか?
やたらと上映を待つ時間に本を広げている人が多くてびっくりした。






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