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映画鑑賞記録
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鑑賞日 2008年2月16日(土)
上映館 シネマライズ 渋谷
制作年 2007年 フランス・アメリカ アスミック・エース
監督  ジュリアン・シュナーベル

紛う事なき感動作なのだと思う。ジャン=ドミニク=ボビー42歳、ELLE誌の編集長が突然の脳梗塞の発作に見舞われ、左目の瞼しか動かせない状態になってしまう。そして、唯一残された瞼の動きによって、言語療法士や協力者の助けをかりて、一文字ずつ綴った自叙伝が原作である。

原作を先に読むか、映画を先に見るか、これは結構大きな問題である。
たいていの場合、原作を読んでから映画を見るとがっかりする。だから、今回も、原作を読む前に映画を見ることにした。

前回《バレエ・リュス》を見たとき、この映画の予告編をみた。そして、絶対見ようと思った。その理由は、以前から人間にとって「生きている」という状態とはいかなる状態なのかを考えていたからだ。

以下映画の内容について書いてあります。反転してお読みください。

主人公は自分の肉体を感じることが出来なくなってしまう。言葉も話せず身じろぎも出来ず、世界と自分をつなぐ媒体だった肉体が、彼の精神をとじこめる「潜水服」になってしまう。唯一世界と彼をつなぐのは左目の瞬きのみなのだ。

もしかしたら、神様の気まぐれで、大きな代償を払うことで、大きな何かを得ることになる人間がいるのだろうか。彼は、体の自由を失うことで、人間が持つイマジネーションの可能性に気がつくことが出来たのかも知れない。

それにしても、なんという映像だろう。彼の目に映る言語療法士・理学療法士・彼の三人の子供を産んだ女性、彼の瞬きの合図を読み取り著述を手伝う女性。彼女たちの口元はチャーミングでエロティックですらある。E・S・Aと一音ずつアルファベットを読み上げていく彼女たちの声の響きはなんと豊かな艶を帯びているのだろう。彼は、左目で彼女たちの口元を見つめ、胸元に目をやり、翻るスカートの影に見え隠れする美しい脚を見る。
彼は著述助手を務める女性と食事をすることをイメージする。ワイングラスを傾け、生牡蠣を味わい、テーブルに並ぶ料理を二人で楽しみ口付ける。彼はもはや自分の口で物を食べることが出来ないのに、まさに食べることは生を楽しむことと言わんばかりのイメージを作り上げる。彼のイメージの健康さがまぶしい。

彼は、病室に電話を設置する。そして、其処に年老いた父親や愛人からの電話が掛かってくる。媒体者を通じてしか成立しない会話なのだが、両者の間に伝わるものがあると確信できる。病により動くことも声も出せない息子に老いにより同じように自宅から出ることもかなわなくなった父親が語りかける。見舞いにもこない愛人への言葉を、彼の子供を三人までも産んだ女性が、媒体者となって伝える、その心の揺れ。

これは哀しい話なのだろうか?不幸を克服しようとした男の話なのだろうか?

原作をまだ読んでいないので、これはあくまでも映画を見た感想なのだが、彼は、確かに生きていたのだと思う。体に障害をもった場合、なぜか彼らの精神が特別なものになってしまうのだと思いがちだ。だが、「普通」に生きている私たちと同じように喜怒哀楽を感じているのだと強く感じさせてくれた。

だから、素直に彼のユーモアに笑えたし、彼の感傷に涙が出た。

それにしても、恐るべしフランス男!爺さんになっても、色気十分の彼の父親の佇まいや、自分より10センチ以上も背の高い女性を、気後れすることなく愛人として連れて歩く彼のかっこいいこと。決してハリウッド的な美男じゃないのに、ものすごく魅力的に見えるのはなぜなんだろう?

人によってさまざまな見方があると思うけれど、私は湿っぽい見方は似合わない映画だと思った。原作をぜひ読んで見たいと思う。






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