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映画鑑賞記録
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鑑賞日 2011年9月11日(日)
場 所 TOHOシネマズ府中
監 督 マイケル・ガントン、マーサ・ホームズ
製作年 2011年 イギリス

BBC作成のネイチャードキュメンタリー作品。子供の頃から動物図鑑や動物番組が好きだったので、その延長線上で見に行きました。さまざまな撮影技術を駆使しての映像は迫力満点。映画館の大スクリーンで動物達のとても繊細な表情を見る事ができて楽しかったです。

特に凝ったストーリー性があるわけでもありません。むしろ淡々と動物達が生きる姿を追いかけているといった作りです。だからこそ、むしろ、動物たちの生に対する誠実さを感じる事が出来ました。

人間は生きる意味とかを考えてしまいがちですが、とにかく、生きている、それだけですごい事かもしれないって、動物たちの姿を見ていると感じました。

まあ~それにしても動物の子供たちのなんと可愛らしいこと!!子供とはいえども、けなげに生き抜くために頑張っている姿を見ると、自分も頑張らなくてはいけない!!って気持ちが自然に湧いてきます。

迫力の映像に、まったりと癒された時間でございました。


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鑑賞日 2011年7月9日(土)
場 所 新宿武蔵野館
監 督 ジャン=ピエール・ポッツィ/ピエール・バルジエ
製作年 2010年 フランス

パリ近郊の「教育優先地区」にあるとある幼稚園での取り組みを追いかけたドキュメンタリー映画。「教育優先地区」と聞くと、私達は教育モデル地区のようなものを思い浮かべるでしょう。ところが、実は逆なのです。教育の成果が上がりにくく、教育に対し特別な配慮や支援が必要とされる地区の事です。

画面から読みとれるのは、移民が多く住む下町の幼稚園であるということ。そこで行われている取組が、年中・年長の子供達に対して、哲学の授業を行うというものです。それこそ、大学生ですら哲学の授業が必修ではない日本人にとっては、驚きのものです。

哲学と言うと、なにかものすごく高尚で難しいように考えがちですが、とどのつまりは、「物事について考えること」ということです。そう言葉を置き換えれば、小さな子供達に、物事を考える方法を教えていく授業と捉えることができるでしょう。その事が、将来彼らの為に有益であるという信念が指導する先生の言葉からひしひしと伝わってきます。

大人は皆かつては子供だったのに、自分が子供だった時の事を忘れてしまいます。大人達は子供に聞かせたくない話は声を潜めて話すけれど、子供はちゃんとそれを聞いていたりします。大人達が矛盾したことを言えば、なんだかおかしいと感じます。でも、子供は大人にそれを言葉で伝える術を持たないし、子供が精一杯自分の考えを伝えようとする言葉を、大人は聞きとろうとしません。

自分自身の考えを持ち、きちんと言葉にする教育を、残念だけれど日本では積極的に行っていません。というより、むしろ、自分自身の考えを持つこと、積極的に言葉にすること、自分を主張することを封じ込めようとします。

言葉よりも、態度や雰囲気から相手の感情や考えを察することを重視しようとするのが日本の伝統だったかもしれないけれど、今はあまりにそれがゆきすぎてしまっているような気がします。

哲学の授業と言いながら、それは自分が経験したこと、感じたことを言葉にしていくことを学ぶ授業だなと思いました。子供達は少ない語彙であっても、精一杯自分の考えを相手に伝える為に話そうとします。それを、大人が助けていくことで、どんどん言葉が広がっていきます。

この映画の中の子供達は本当に普通の子供達です。遊ぶことを楽しみ、喧嘩したり笑ったり、疲れて眠りこんでしまったり。

彼らは確かにまだ大人の手助けなしに生きていくことはできないけれど、ちゃんと感情も彼らなりの考えも持っています。まさに、小さな人間です。

二人の子供を育てる中で経験してきた個性の発露を懐かしく思いだしながら、子供の持つエネルギーに笑ったりしみじみしたりできる良い映画でした。

鑑賞日 2011年6月18日(土)
場 所 TOHOシネマシャンテ
監 督 ジュリー・テイモス
製作年 2011年 イギリス

シェークスピア最後の作品と言われる「テンペスト(嵐)」の映画化作品。原作は高校時代に気に入って何度か読んでいる。空気の精エアリアル
が元ミラノ大公で魔法使いプロスペローに悪態をつきながら主の命令を見事にやりおおせるところや、プロスペローの娘、ミランダとナポリ王子ファーディナンドの美しい恋物語は、ちょっとひねくれた女子校生にもなかなか面白いものだったのだ。

この作品では、弟の姦計によりミラノ大公の座を奪われたプロスペローを大公妃プロスペラに置き換えている。そうした変更が加えられても原作の面白さは少しも損なわれていないし、返って面白くなっていると言えるかもしれない。エアリアルやキャリバンの関係がより自然に感じられる。

魔法によって引き起こされる嵐やエアリアルが活躍する幻想的なシーンをどんな風に映像処理するのかと思っていたのだが、これがとってもうまく処理されていて面白かった。時には、舞台演出のようなシーンもあって、リアルさと、舞台のような抽象的な構成美とが混じり合い、何とも不思議で美しい映画だった。

この物語のひとつの要素として、プロスペラの計らいにより引き合わされ恋に落ちる青年と乙女の恋があるのだが、この二人設定的にはどう考えても16・7歳と14歳。実際に演じているのはもっと大人俳優さんなんですけども、原作ではきっとそのくらいのはずだ。純粋で先の事なんか全然見えていなくて、目の前にある恋に夢中になっている少年少女の恋。ひねくれ切っているおばさんとしては、あまりの幼さに笑っちゃうくらいだが、いいなあ~こういう純粋さって・・・・。

作品の内容とは関係ないのだが、気になったのは、エアリアルの眉毛が麻呂眉のように短いこと。この眉が人ならぬ妖精である事をとても強く感じさせる。この感覚はおそらく日本人的感覚だろうなあと思ったのだが、帰ってから公式HPを見てみたら、この監督さん、日本の歌舞伎や浄瑠璃にも造詣が深いのだそうだ。なるほどね・・・、と腑におちた。エアリアルが走り回るシーンがあるのだが、「韋駄天走り」という言葉がふっと頭に浮かんでしまった。絵巻物で見た図柄にとても印象が似ていたからか?

この映画、原作を知っていて、なお且つ原作が好き!と言う人にはお勧めだが、まっさらで見ると、映像は楽しめるだろうけれど、ストーリー的には違和感があるかも知れない。





観賞日 2011年5月14日(土)
場 所 東京都写真美術館 1Fホール 
監 督 カール・ハートル
制作年 1942年 オーストリア
公式HP⇒
どうもモーツアルトと私は相性が良いらしい。5月15日にまで開かれているベッティナ・ランスの写真展を見に行こうと思って東京都写真美術館のHPを開いたら、この映画の情報が!先週写真展に行こうか、迷っていたのですが、今日にして正解でした!映画と写真展の両方を楽しむ事ができました。

モーツアルトとサリエリの確執を描いたアカデミー賞受賞作品では、モーツアルトは英語をしゃべってました。先日見た、彼のお姉さんを題材にした作品ではフランス語をしゃべってました。ダ・ポンテとの関係を描いた作品ではイタリア語を話していました。モーツアルトはオーストリア人なのに、ドイツ語で話している作品を見たことなかったのです。モーツアルトは、ドイツ語が母語だったはずですが、フランス語、イタリア語、フランス語、ちょっとは英語も話せたかもしれないし、ラテン語も勉強していたでしょう。たとえいろいろな言葉が話せたしても、やっぱり母語は違うと思うんです。気持ちの奥底を話すためにはやっぱり母語ですもの。


で、ドイツ語を話すモーツアルトを見て、そうか・・・モーツアルトってこんな風にしゃべっていたんだなって納得しました。ちょっと実物よりどうみてもハンサムで体格の良い俳優さんが演じてましたけど、モーツアルトのいつまでも子供っぽさが抜けない感じはよくでていました。

制作は今から65年前。第二次世界大戦が膠着状態にはいり、ドイツによるユダヤ人の強制収容所送りなどが始まった頃なんです。そんな時代にオーストリアはこんな映画を作っていたのですね。

題材はモーツアルトの最初の恋人アイロージアと妻コンスタンツェの間で揺れるモーツアルトなんですけど、ま~、洋の東西、今・昔にかかわらず、男ってやつは自分勝手ね~。初恋のアイロージアと妻コンスタンツェは姉妹。姉と妹を天秤にかけて言うことには、「妻は物わかりがいい女だから、きっとわかってくれる」って・・・・。駄目だよ~、モーツアルト君・・・・。まあ、最期はちゃんと妻のもとに戻るって事になるんですけど、本当にこんなことやっていたのだったら、死んだあと、共同墓地に付き添いもなく埋葬されたり、妻コンサタンツェに都合がわるい手紙なんかを処分されてしまっても、仕方ないかも・・・って思いますわ。

でも、モーツアルトがもし、品行方正で世知にたけた人間だったら、多分彼が遺してくれたような魅力的な作品は生まれなかっただろうなあとも思ってしまうのですよね。

時に残酷で、時に愛らしくさえ思える彼のあり方が、彼の作品の魅力の源泉なんだろうって思います。

モノクロでモノラルの作品は、今の凝りに凝った作品のような派手さはないけれど、人間のいつの時代にもな変わらぬ感情をゆったりと表現してなかなか味わい深いものでした。

観賞日 2011年5月7日(土)
場 所 ヒューマントラストシネマ有楽町
監 督 ピエール・トルトン
制作年 2010年 フランス

イブ・サン=ローランと言えば、50年にわたってファッション界をリードしてきたオートクチュール界の巨星である。ファッション・ブランドに疎い私だって知っている。クリスチャン・ディオールの急死により、21歳の若さでディオールを引き継ぎ、大成功を収めた彼が、その後どのような人生を送り、そして、この世を去ったのか、興味があったので見に行ってみた。

びっくり!彼ってゲイだったんですね。知りませんでした。映画は彼の公私ともにパートナーだったピエール・ベルジェ氏が、二人で集めた美術品の競売準備の過程を軸にイブ・サン・ローランの人生と、彼ら二人の関係について、多くの証言や写真で描かれていきます。

才能に恵まれ、成功と名声を得ながら、イブ・サン=ローランはまるで苦行者のようでした。彼には、彼を理解し守りいつくしむ人間が絶対に必要だったのだと感じました。さすがは、おフランス。アモールは同性とか異性とかもはや関係ないんですね。競売を終え庭を眺めているべルシェ氏の表情がとても複雑で胸を打ちました。人生のほとんどを一緒に過ごした存在を失っても、まだ、熱を帯びたようなまなざしの奥にあるのはなんだったのでしょうか。

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