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映画鑑賞記録
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鑑賞日 2012年1月21日(土)
場 所 シネマート新宿
監 督 リリアン・フランク ロベルト・シビス
製作年 2009年オーストリア・ドイツ合作

昨年渋谷の映画館で、並べられたチラシに目がとまった。「ピアノマニア」?なんだかおかしな題名だなと思いチラシを持ち帰っていた。そして、7日に映画を見た時、予告編をやっていた。あら、面白そうじゃない!と思った。21日のお遊びはどうしようかと思っていた時に、机の上に放置していたチラシを見つけた。初日21日(土)?こりゃ見に行くしかないでしょう!!ということで、冷たい雨の降る中、出かけてみました。

そもそも子供の頃から、機械の中をのぞくのが大好き!壊れた時計やラジオを分解するのが大好きで、子供雑誌の「中身を見てみよう」的な記事があろうものなら舐めるように読むのが習慣だった。そんな私にとって、この映画は本当にわくわくドキドキの楽しいものだった。

巨大なコンサートピアノを調整する調律師シュテファンが主人公のドキュメンタリー映画なのだが、ドキュメンタリーとは思えないくらい、このシュテファンのキャラが立っていて、ドキュメンタリーというより、ドラマを見ている気分になる。

私たちは艶やかに磨かれた黒い巨大な楽器としかピアノを見ていない。しかし、その内側には鉄製の大きなフレームとそれに張られた無数の金属製の弦、そして、鍵盤を叩くピアニストの指先の動きを弦に伝える精巧な機械装置が入っているのだ。まさに巨大なマシンなのだ!

ピアノが楽器として発展したのは18世紀後半。作曲家でいえばモーツアルトの時代だ。モーツアルトは作曲家として今でも天才の名をほしいままにしているが、その彼はあらゆる楽器の演奏家としても名高く、特にピアノ演奏を得意とし、多くのピアノ協奏曲を作り、彼自身が指揮・演奏をやりおおせていたのだ。初期のピアノ改良に彼は貢献もしている。
19世紀に入り、産業革命の波はおそらくピアノの構造の変化にこ大きく影響しているだろう。メカとしてのピアノが現在のような完成を見るのは19世紀後半。市民社会が成熟し、多くの人々がコンサート会場で演奏を楽しむようになって、それに合わせて進化していったのだ。

歌手は自分の肉体そのものを楽器とする。だからこそ発声法のみならず、その歌手の声質そのものが問題となる。では、楽器は?ピアノもバイオリンもその楽器その物が持つ個性があり、楽器を能力を最大限に生かしながら演奏家は自分の音楽を表現していく。楽器が無ければ楽器演奏家というのはあり得ない。演奏は楽器と演奏者がそろって初めて可能になる。

この映画で、ピアノと演奏者だけではなく、調律師という存在が音楽を支えている事を知った。ピアニストの理想とする音を実際に奏でるための音造りは調律師の腕にかかっているのだ。

弦にフェルトを挟んでみたり、細かい調整の為に鍵盤機構の隙間をへばりつくようにして覗きこみ、僅か0.7ミリの誤差範囲としか思えないハンマーの軸の太さに頭を抱える調律師シュテファンはまさに職人のなかの職人なのだ。

ところが、このシュテファン、堅苦しい一方の男ではなく、世界的巨匠のピアノ調整の傍ら、ピアノやバイオリンを使ったコメディアンのパフォーマンスのネタづくりのブレインでもある。

彼は正にピアノのあらゆる可能性を楽しんでいるのだ。「ピアノマニア」という題に偽り無しである。

全編を通じて美しいピアノ曲が流れ、ウィーンの町並み、コンチェルトハウスのホールなどの映像も楽しめる。何より、ピアノの官能的なまでに美しい内部構造の動きを堪能できる。

ドキュメンタリーというと堅苦しい映画と思われがちかもしれないが、この映画はいろんな楽しみ方ができる。

ピアノを習っている人にはぜひお勧めしたい!映画館では音楽関係の学校に通っている学生さんや親子割引などを用意している。

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鑑賞日 2012年1月7日(土)
場 所 渋谷イメージフォーラム
監 督 マックス・オフュルス
製作年 1956年 2009年

2012年最初のお遊び企画として映画を見ることにして、上演情報を調べて、面白そうだったので、見てみることにした。

何がおもしろそうって、19世紀を代表するファム・ファタル、ローラ・モンテスの生涯を描いていると言うこと。封切り当時、不評で監督の意図を無視した再編集が行われ、「呪われた傑作」とい称されていたということ。予告編がいかにもコスプレ物が好きな私好みのゴージャスさだったこと。東京では1月13日までの上映なので、今日を逃したら、見るチャンスがない!と言うことで、えっちらえっちら渋谷まで出かけて行った。

イメージフォーラムの名は結構予告編などで見かけていたが、実際に行ったのは初めて。ミニシアターだけれど、客席はなかなか心地よく、画面も見やすかった。

最近は古い映画をデジタル技術によって復活させて再上映する試みが増えているようだ。高校生頃にNHKで「世界名作劇場」というのをやっていて、映画館で邦画見るよりTVで外国映画を見る方が好きだったような気がする。そんな懐かしさもあり、昔の傑作映画のデジタルリマスター版とかいわれると弱いのかも。それに、今の映画スターの体型より、昔のスターの体型の方が好き。全体に今のスターの体型って、華奢すぎる。私はもっと、ばーん!!と存在感がある体型が良いと思ってしまう。

ヒロインのマルティーヌ・キャロルは背は高くなくて、ボン・キュ・ボン体型。露わにされたデコルテから、しどけなくはみ出た乳房のまあ、なんと魅惑的な事!フランツ・リスト役の俳優さんの後姿が、大人の色気むんむん。華奢で小さなひよっこのお尻なんかじゃなくて、がっちりとしたまあ、大人のお尻なわけです。

ストーリーは、自らの美貌と才気で世界各国のセレブ男を虜にし、奔放に生きたローラ・モンテスが、落ちぶれて自らの人生をスペクタクルな見世物の仕立てて生きているというところからスタートする。そのショウと回想シーンを同時進行させていく。画面はとにかくゴージャスできれいです。今では人権的にどう?と思うような表現もありますが、映画の舞台は19世紀後半なわけで、今のモラル感とかを持ち込んだって仕方ない。衣装もきれい~。ゴージャスなナイスバディ美女がこれでもか!って言うくらいゴージャスな衣装を着て見せてくれるのだから、たまりません。

映画の紹介文には、フランス恋愛映画の至宝なんて書いてあったが、見終わった感想は、恋愛映画というより、恋愛の為に自分を曲げたりしない、強い女の一代記という感じでしたけど。こんな奔放な女性、滅多にでるもんじゃないだろうなあ・・・。
彼女の強さを感じる一方、彼女を取り巻く男達の軟弱さというか、身勝手さというか・・・。男の欲望や理屈に屈しないからこそ「ファム・ファタル」なんだろうかと思ったりして。

興行的に当たらなかったというけれど、なんとなくわかるような気がする。ゴージャスなんだけど、全然甘くなく、むしろシニカル。今の方が理解されるような気がした。

映像の中でおっと~!と思ったのが、ルドヴィッヒ1世が描かせた彼女のヌードの絵が、まんまアングルの「グランドオダリスク」だったこと。ラストシーンでの彼女の衣装が修道女のようだったこと。マグダラのマリアをふと思わせた。

昨年みた映画を数えてみたら15本だった。今年は何本みられるだろう?
鑑賞日 2011年11月12日(土)
場 所 渋谷UPLINK
監 督 ミシェル・オゼ ピーター・レイモント 
製作年 2009年 

異色のピアニスト、グレン・グールドの生涯を追ったドキュメンタリー。
凡人にとって、天からの恵みを与えられた「天才」は憧れと崇拝の対象となるのだろうけれど、実際、「天才」と呼ばれる人達は、大変なんじゃないだろうかと思う。

今年は モーツアルト、イブ・サンローラン、ゲーテ、グレン・グールドと天才と呼ばれる人達の人生を題材にした映画を見たけれど、「天才」って大変だなあ・・・・と思わざるを得ない。

ゲーテはとても長生きだったし、失恋で心の痛手を負ったとしても世俗的な意味で王道まっしぐらみたいな人生で、天才ゆえの理解されないという苦悩したと言う印象はあまりない。しかし、モーツアルト、イブ・サンローラン、グレン・グールドは、与えられた才能に繊細な神経が耐えきれず、苦しみを抱えながら、それでも、人々に光を与え続けたという印象が強い。

バッハは好きな作曲家だし、ゴルトベルク変奏曲は好きな作品でよく知っていたけれど、グレン・グールドの演奏を聴いた時には別の作品のように感じたことを覚えている。とにかく、はっと目が覚めるというか、神経に針が刺さる感じというか・・・。ただ単に音楽を聞くのが好きな私にとって、その演奏が好きか嫌いかということしか判断できない。彼の演奏は好きだ。

時代の変わり目に生まれた天才は本当にカナリアのようだと思う。変化を真っ先に告げて知らせるが、我が身を犠牲に捧げることになる。彼と同時代の名演奏家はたくさんいたけれど、彼ほど録音技術と演奏の可能性に深くかかわった人はいなかっただろう。今では当たり前に行われている事だとしても、彼が始めた時には全て理解された訳ではない。最先端を切り開いた彼は、孤独と無理解に晒された。

50歳の誕生日の翌日に亡くなった彼は、かつて、自分は50歳で死ぬだろうと予言めいたことを言っていたそうだ。ちょうど半世紀の生涯。彼にとってその時間は短かったのか、長かったのか?凡人には「天才」はいつだって謎なのかもしれない。

鑑賞日 2011年11月5日(土)
場 所 TOHOシネマズ府中
監 督 ポール・W・S・アンダーソン
製作年 2011年 フランス/アメリカ/イギリス/ドイツ

予告編を見て、公開を楽しみにしていました。完全な娯楽作品だという事は120%わかっていましたので、もっぱら楽しみは、悪女ミレディ役のミラ・ジョヴォヴィッチの衣装とアクションです。舞台は17世紀フランスって事なんですけど、実際そんな事はどうだっていいんです。だいたい、木製のでっかい船を熱気球の理論で浮かばせようなんて、荒唐無稽もいいところです。特に動力もない熱気球がどうやってフランスとイギリスを行き来できるのさあ????とにかくド派手なドンパチやって、ジョヴォヴィッチがきれいなドレス姿で華麗になアクション見せてくれてるってだけでいいんです。二枚目俳優のオーランド・ブルームが、バッキンガム公爵といういけすかない敵役を演じているのだけれど、リーゼント調の頭が超笑えます。オーランド・ブルーム、案外この路線行けるかも!

3Dは眼鏡の上に3D眼鏡をしないといけないし、3D酔いするので今回は通常版を見たんですけど、そのせいか、CGはCGという質感で、ちょっとちゃちい感じになってしまいますね。なんだか、ゲームの画面を見ているような感じといったらいいのか・・・・。

全体に、登場人物がみんなおバカっぽい感じなんですよね。枢機卿のリシュリューも私のイメージではもっと狡猾で怜悧な感じなんだけれど、結構愛すべき悪役風。ロシュフォール隊長に至っては、単純すぎてねえ・・・。

こういう映画は全然頭使う必要ないし、ミラ・ジョヴォヴィッチの脚線美やら、胸の谷間とか堪能できて、行け行け!やっちまえ~!!って感じでストレス解消にはなりましたわ。ラストはどう見ても、続編作る気満々っの終わり方。次回はどんな陰謀とドンパチの素材が出てくるのかしら?ミレディの悪女っぷりがパワーアップしているなら、また見たいもんです。




鑑賞日 2011年10月29日(土)
場 所 TOHOシネマシャンテ
監 督 フィリップ・シュテルツェル
製作年 2010年 ドイツ

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと言えば、18世紀~19世紀に活躍したドイツの巨匠で知らない人はいないと思う。ゲーテはなんとなく19世紀の人のような印象が強いけれど、活動期間としては18世紀と19世紀とほぼ半々といったところか。

ゲーテの出世作「若きウェルテルの悩み」の執筆秘話みたいな筋立ての映画なのだが、
「若きウェルテルの悩み」が、ゲーテの実体験をもとに創作された書簡小説なのだが、この映画は更に、それをモチーフに脚色したラブ・ストーリーで、なかなか面白かった。

ゲーテはハンサムで、金持ちの出身で、才能に恵まれた、ちょっと嫌みになるくらいな奴なわけです。下手をすれば、鼻持ならない若造なわけですが、アレクサンダー・フェーリンクが、まだ若くて分別が付いてないゲーテをのびのびと演じていて実によいです。ドイツ系の王子様キャラにぴったり。ヒロインのロッテ役のミリアム・シュタインも可愛くて生き生きとしていて、まさに青春映画~!!爆発した鳥の巣みたいな巻き毛がなんとも言えずロッテのキャラを引きたててます。ロッテの婚約者ケストナー役のモーリツ・ブライブトロイがまたいい味出しているんですよ。実直で不器用な男の切なさと可愛らしさがにじみ出ています。

この作品を見ていて、2009年の秋に公開された「ジェーン・オースティン~秘められた恋」を思いだした。ゲーテの恋の相手、ロッテは多くの家族を養ってくれるケストナーとの結婚を選び、ジェーンの恋の相手、トムも今まで援助してくれて来た親戚の娘との結婚を選ぶ。この時代、結婚は愛の帰結ではなく、生活をかけた契約であったりする。ゲーテもオースティンも実らなかった恋を、創作に昇華させたんだろうと思う。逆に恋が成就していたら、その後の彼らは一体どうなっていたんだろう?

帰って来てから、ウィキでゲーテの生涯を調べてみた。ゲーテは恋多き男で、年上から年下まで幅広く守備範囲としていたようだ。最近再婚した某芸能人ばりに、70すぎて孫のような少女に求婚したと言うのだから恐れ入る。たくさん恋をしたゲーテは結婚していないのかと気になって調べたら、39歳の時に、兄の就職の世話を頼みに来た23歳の女性を見染めて、口説き落として内縁の妻にしたんだそうです。さっさと結婚すればいいのにって思いますけどねえ・・・。ゲーテは一回婚約したのだけれど、いろいろ家同士の間で調整がつかず、結局結婚できなかったという過去もあったようで、結婚におよび腰だったのかもしれませんね。内縁関係というのは、別段男にとっては不自由なことってないんですよね。実質的には何の問題もない。成人できたのは長男だけだったようですが、何人もこの内縁の妻はゲーテの子供を生んでいるんですよね。女性側としては、内縁関係って法律的な保障がないから困るんですけど。1806年にヴァイマルにフランス軍が侵攻してきたときに、内縁の妻が彼を救ってくれたのでやっと結婚したっていうのだから、全く偉人ゲーテも意気地がないなあと思ってしまう。確か、「落ち穂拾い」を描いたミレーも奥さんはずっと内縁関係で、死ぬ間際になってやっと結婚して席を入れたのですよ・・・。
現代と結婚の意味が違うにしても、20年も30年も踏ん切りがつかないって言うのは、男の弱さなんでしょうかねえ・・・・。

ロッテは家族の為、穏やかな生活を保障してくれるケストナーを最終的には選び、
ゲーテの才能の為にも恋の成就は適わないのだと潔く身を引く事になるのですが、恋と結婚はやっぱり別物なのかも・・・って思うし、でも、短く燃え上がった恋が、才能によって昇華され、普遍的な文学作品になるのだとしたら、それはそれで、幸せな失恋なのかもしれないなあ・・・と思います。

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