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映画鑑賞記録
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観賞日 2010年11月27日(土)
場 所 角川シネマ新宿
監 督 松井久子
制作年 2010年
制作国 日本・アメリカ
公式HP 
雑誌の映画評を見て、見たいと思っていたところに、会社の同僚から招待券もらった。20世紀の偉大な芸術家 イサム・ノグチの母、レオニー・ギルモアをモデルとして作られた映画。しかし、これは伝記映画ではない。クレジットタイトルにも書かれていたが、あくまでも実在の人物をモデルにしながらも、二つの文化の狭間で人生と向き合い、子供を育てた女性の一生を描いた「フィクション」だ。

この映画はいくつものファクターが重なりあっている。それらが絶妙なバランスで重なりあい、複雑で美しい物語となっている。キャストも豪華だ。レオニー役はエミリー・モーティマー、野口米太郎役は中村獅童。脇を固める役者さんも皆うまい人ばかり。


この映画では日本とアメリカの風景や文化が様々なもので対比させられている。
風景、言葉、しぐさ、男と女の在り方・・・・。セリフや画面構成の中にいくつもの
意味合いが隠されている。非常に練り込まれて密度の濃い脚本であり演出だと思う。

特に印象に残った部分を書いてみたい。

アメリカと日本でロケをした風景の映像がとても美しい。構図の美しさは本当に素晴らしい。特に、浮世絵や障壁画を思わせるような構図が随所に出てくる。アメリカの風景を日本の伝統的な構図で切り取っているところがとても興味深い。

海岸の映像を見て、それが日本の海岸だとすぐに判断できるのはなぜなのだろう?砂浜と遠くに見える崖、その上に茂る木々。家もなく、ただそこに在るのは海と陸と植物と空と光、それでも、そこが日本だと確信する感覚を改めて不思議に思った。

構図だけでなく、小道具の扱いがとても暗示的で意味深い。レオニーがひと抱えもある白百合の花束を抱え二人が住む家へと戻ってくる。レオニーは花束を解いて花瓶に差す、花瓶の口が広くて、ユリの束がばらけて広がる。ヨネが日露戦争勃発を報じる新聞で顔を隠している。レオニーが顔を隠していた新聞をのけると、目元に大きなあざができている。日本人を快く思わないアメリカ人に暴力を振るわれたのだ。開戦を知らず帰りが遅かったレオニーを不機嫌に責めるヨネ。もうアメリカにはいられないというヨネに、レオニーは妊娠を告げる。ヨネは驚き、彼女の妊娠を受け入れられず、喜ぶどころか、彼女が持ち帰った白百合を薙ぎ払い、踏みにじる。

白百合はキリスト教の中では聖母マリアの象徴であり、受胎告知のシンボルでもある。その花を踏みにじる行為によって、ヨネの身勝手さ、彼と彼女の間にある文化の隔たりを感じさせるのだ。そして、この白百合が、後半、娘の名となって再び現れる。彼女はヨネと分かれたあと、ある男性と愛し合い、娘を産む。だが、最後まで、娘の父親が誰なのか、娘にさえ明かさない。だが、難産の末、産み落とした娘に、レオニーは「アイリス」と名づける。アイリスとはアヤメの類を差すが、古くは百合も含むものだった。百合と同様の象徴性を持っていると言える。イサムがヨネ・ノグチの息子であるとすれば、アイリスは、レオニー自身の娘なのだ。恋に破れた娘アイリスに、レオニーは、「あなたが愛したことが重要なのだ。」と語りかける。アイリスが自分の父親は誰なのだと激しく問いかけるが、レオニーは「頭がよくて、紳士で、必要な時に助けを与えてくれた人」としか明かさない。息子イサムには、「芸術家の血が流れるお前は芸術家になるのだ」と言ったのに、娘には言わない。なぜか?彼女は娘の名は自分でつけた。しかし、息子の名前は父親であるヨネにつけさせている。名前を与える者がその人間に対して特別な関係を持つという意味があるのだとすれば、アイリスはまさにレオニーだけの娘だったのだろう。セリフの中に、普遍的にある母と息子、母と娘の関係性の違いが隠されているように感じてならない。

言葉とアイデンティティの問題も興味深い。レオニーが日本語を話した場面は僅かに2か所しかない。日本にやってきたレオニー母子の為にヨネが用意した家を出ていくとき、世話をしてくれた女中に礼を言う場面と、勇を一人アメリカに送り出すシーンで、ヨネに「私はあなたの犬ではない!」というシーンだけ。言葉がわからなければ、何を言われても気にしなくてもよいからと言っているが、言葉が通じずとも、自然と通じ合えるのだと思わせるシーンもたくさんある。言葉の残酷さ、言葉が通じるからこその理解、人間の複雑なコミュニケーションの問題も描かれているところがなかなか味わい深いものだと思う。

まだまだいろいろあるのだが、書ききれないし映画を見ていない人には、良くわからない事の羅列にしかならないと思うので、もうやめておこう。

それにしても、中村獅童はいい味だしてました。身勝手な日本の男のいやらしさと、才能溢れる男の抗い難い魅力のようなものを上手に演じていました。彼はハンサムじゃないんだけど、チャーミングだと思う。

重たい映画だけれど、見終わった後は、草原に吹きわたる風のような清々しさを感じた作品だったと言える。
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