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映画鑑賞記録
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鑑賞日 2010年9月5日(日)
場 所 岩波ホール
監 督 マルタン・プロヴォスト
製作年 2008年 フランス・ベルギー・ドイツ合作映画
2009年 フランス・セザール賞7部門受賞作品

6月に岩波ホールで予告編を見て、ぜひ見たいと思っていた。
実在の画家セラフィーヌ・ルイ(セラフィーヌ・ド・サンリス)とドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデの交流を描いた作品である。

何かを創造する人間というのは、ある意味自分でも御しがたい衝動のようなものを持っているのではないかと思うことがある。自分の意思で行うと言うよりも、まさに天から与えられた力によってそうせざるおえないようになっているというか・・・。

セラフィーヌがもし、ウーデと出合わなかったらどんな人生を送っただろう。セラフィーヌが絵を描いたのは、名誉やお金が欲しかったわけではなかったろう。純粋に自分を慰めてくれる草花や果物を描きたかったのだと思う。ウーデがその才能を見出し、作品を世に送り出す為に援助したわけだが、その援助が彼女の危うい均衡を壊してしまったようにも思えた。セラフィーヌの作品には不思議な揺らめきを感じる。

見ていると少し怖くもある。それはまるで万華鏡のようでもあり、顕微鏡で見る細胞のようでもある。彼女自身も自分の描いた絵が怖いという。それは彼女自身が自分の意思というより、見えざる手によって駆り立てられた結果の絵だからだろうか?

神を信じ、守護天使の声を聞いて絵を描いたという彼女が、世俗人の思惑や変化する経済状況など頓着できるはずもなく、彼女は精神の均衡を失い、ついには絵を描く事が出来なくなってしまう。
彼女の絵は狂気に陥る素地があったから描けたものなのか、それとも、ウーデとの出会いによって、彼女が描く事にのめり込み過ぎて狂気を誘発してしまったのかは分からない。しかしながら、彼女が神を讃える歌を歌いながら、精根を傾けて描く姿は壮絶で胸が熱くなる。

彼女の名前セラフィーヌは、セラフィム=熾天使に由来するものだろう。熾天使とは、天使の九階級のうち最上とされ三対六枚の翼を持ち、2つで頭を、2つで体を隠し、残り2つの翼ではばたく。神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使といわれる。彼女はその名の通りの人生を送ったのだなと思った。

激しく感動するというよりも、じわじわと胸が熱くなる、そんな作品だった。
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