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映画鑑賞記録
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観賞日 2011年5月14日(土)
場 所 東京都写真美術館 1Fホール 
監 督 カール・ハートル
制作年 1942年 オーストリア
公式HP⇒
どうもモーツアルトと私は相性が良いらしい。5月15日にまで開かれているベッティナ・ランスの写真展を見に行こうと思って東京都写真美術館のHPを開いたら、この映画の情報が!先週写真展に行こうか、迷っていたのですが、今日にして正解でした!映画と写真展の両方を楽しむ事ができました。

モーツアルトとサリエリの確執を描いたアカデミー賞受賞作品では、モーツアルトは英語をしゃべってました。先日見た、彼のお姉さんを題材にした作品ではフランス語をしゃべってました。ダ・ポンテとの関係を描いた作品ではイタリア語を話していました。モーツアルトはオーストリア人なのに、ドイツ語で話している作品を見たことなかったのです。モーツアルトは、ドイツ語が母語だったはずですが、フランス語、イタリア語、フランス語、ちょっとは英語も話せたかもしれないし、ラテン語も勉強していたでしょう。たとえいろいろな言葉が話せたしても、やっぱり母語は違うと思うんです。気持ちの奥底を話すためにはやっぱり母語ですもの。


で、ドイツ語を話すモーツアルトを見て、そうか・・・モーツアルトってこんな風にしゃべっていたんだなって納得しました。ちょっと実物よりどうみてもハンサムで体格の良い俳優さんが演じてましたけど、モーツアルトのいつまでも子供っぽさが抜けない感じはよくでていました。

制作は今から65年前。第二次世界大戦が膠着状態にはいり、ドイツによるユダヤ人の強制収容所送りなどが始まった頃なんです。そんな時代にオーストリアはこんな映画を作っていたのですね。

題材はモーツアルトの最初の恋人アイロージアと妻コンスタンツェの間で揺れるモーツアルトなんですけど、ま~、洋の東西、今・昔にかかわらず、男ってやつは自分勝手ね~。初恋のアイロージアと妻コンスタンツェは姉妹。姉と妹を天秤にかけて言うことには、「妻は物わかりがいい女だから、きっとわかってくれる」って・・・・。駄目だよ~、モーツアルト君・・・・。まあ、最期はちゃんと妻のもとに戻るって事になるんですけど、本当にこんなことやっていたのだったら、死んだあと、共同墓地に付き添いもなく埋葬されたり、妻コンサタンツェに都合がわるい手紙なんかを処分されてしまっても、仕方ないかも・・・って思いますわ。

でも、モーツアルトがもし、品行方正で世知にたけた人間だったら、多分彼が遺してくれたような魅力的な作品は生まれなかっただろうなあとも思ってしまうのですよね。

時に残酷で、時に愛らしくさえ思える彼のあり方が、彼の作品の魅力の源泉なんだろうって思います。

モノクロでモノラルの作品は、今の凝りに凝った作品のような派手さはないけれど、人間のいつの時代にもな変わらぬ感情をゆったりと表現してなかなか味わい深いものでした。

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