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映画鑑賞記録
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鑑賞日 2009年8月1日(土)
場 所 BUNKAMURA ル・シネマ
監 督 ヘルマ・サンダース・ブラームス
製作年 2008年 ドイツ・フランス・ハンガリー合作

たいていの場合、女性が評価する女性は男性受けが悪く、男性が評価する女性は女性受けが悪い。それはおそらく、両者の評価基準の置きどころが違うからだろう。女性が描きたいと思う女性の魅力とはなにか?男性が描きたいと思う女性の魅力とはなにか?この両者にも大きな差があるように思う。女性は女性に対して、非常にシビアな目を持っているものだが、同時に尊敬できる女性に対しては強いあこがれも持つように思う。
監督はその名前の通り、ブラームスと同じ血を引く人間である。作曲家ブラームス自身は生涯独身だったし、もちろん子供も残していない。シューマンとクララとブラームスの関係はいろいろと取りざたされてきたが、本当のところは何もわかっていないらしい。一人の女性をめぐって複数の芸術が争った例は非常に多い。芸術家の霊感を刺激するミューズがどこにでも転がっているわけではないので、そういうことになってしまうのかもしれない。
 クララ自身が非常に才能豊かな女性で、シューマンとの結婚を父親に反対されて、訴訟まで起こしたというから、実際かなり意思の強い人だったのだろう。
多くの子供を抱え、精神的に不安定な夫を支え、自らも表現者として活動するクララはまさにスーパーウーマンのようだ。だか、彼女は決して強いばかりではなく、14歳年下のブラームスの才能と人柄に支えられていた。
 シューマンとクララの関係は、普通の夫婦のような結び付きに加え、互いの才能を愛するという特殊なものがあったように思う。そして、シューマン夫妻とブラームスとの結び付きも、「才能」を媒介としたもののように思えて仕方ない。三人がそれぞれの「才能」を認め、愛しているからこそ成り立つ関係なのではないだろうか。
 
 それにしてもブラームス監督が選んだ俳優陣はなんとこの役柄にふさわしいことだろう。シューマンの内省的で詩人のように繊細なイメージとブラームスの明るく陽性で天真爛漫なイメージが実に対照的。その間にあって、クララの芯が一本通った凛々しさと美しさが本当に適役だと思う。
 女性監督が女性の強さを描くとき不思議と共通するものがあるように思う。
それは人生の荒波にもまれながら失われることのない清純さと匂いたつような柔らかなエロティシズムだと思う。女性が惚れてしまいそうな色香なんですよね・・・・。

 しかし、ちょっと悔しい。人生を重ねてきた女性の美しさを存分に表現している日本映画はあまり見当たらない。そもそも日本男性は母の強さは求めても女の強さを求めてないように思うし・・・・。

足首フェチの私としては、クララが下着姿でピアノの練習をする場面でちらりと映ったマルティナ・ケデックの足首が、想像通りの太さだったのでやっぱり~と納得。西洋人の足首って本当に太い。でもそれがまたたまらなくいいのですよ。

 この映画のもう一つの魅力は音楽であるのだが、音楽の扱いも非常に考えられていて素晴らしい。余分な音がない。現代の生活は機械から四六時中音が垂れ流しになっているけれど、録音再生技術がなかった当時は、音は人が奏でなければならないものだった。台所で魚をさばくシーンや、酒場のシーンなどがって19世紀当時の生活などが垣間見えて、そういうところもなかなか楽しめた。

 そして、やはりドイツ映画。フランス映画のようにラストに困惑するようなことはありません。余韻を残しつつ、ちゃんと気持ちを収まるべきところに収めてくれました。ただ、ドイツ語の愛の言葉は、フランス語のそれより、ずっとまじめに聞こえるのはなぜなんでしょうねえ・・・・。

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