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映画鑑賞記録
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鑑賞日 2009年8月22日(土)
場 所 岩波ホール
監 督 エルマンノ・オルミ
製作年 2006年 イタリア

見終わっての感想。「イタリア映画よ!お前もか!!」

映画に限らず物語にはオチがあるのが当然と思っていたのに、フランス映画には、自分が期待するようなオチがなくてびっくりしていたのです。最近は、フランス映画にオチを期待したらいけないと思うようになってきたのですが、まさかイタリア映画にも、オチがないとは!!あとは好きなように自分で勝手にオチをつけてねって監督に言われたような気がしました。そういう意味では大人を相手にしてる映画なんだと思います。
ハリウッド映画は何といっても予定調和的オチがありますから、子供でも安心して見られます。

イタリア人ってものすごく饒舌なイメージがある。イタリア語はスタッカートがきいているアップテンポなイメージ。でも、この映画はものすごく寡黙だ。登場人物が発する言葉はとても少なくて、セリフも日常会話のはずなんだけれど、何かを暗示しているお思わせる言葉が選ばれている。根底にあるのはキリスト教の聖書の言葉なのだろう。この作品は、現実的な物語というより、寓話的なものなのだと思う。深くキリスト教的なものに親しんでいる人ならば、それぞれの人物が話す言葉のなかに、容易に聖書の物語や教義的意味を想起することができるだろう。日本人の場合、セリフそのままの意味で追いかけていくことになるから、時々つながりが悪く感じるだろう。

映像についても同じことがいえる。導入部の図書館の場面で、100冊の写本が、太い釘で床や机に打ちつけられているシーンが特に印象深い。この釘の形状は、まさしくキリストが十字架に手足に打ちつけられた釘を想起させるものだ。

主人公の若きエリート哲学教授はキリストのような風貌をしているし、彼に寄り添おうとする食料品店の若い女性も、どこかマグダラのマリアを思わせるものを持っている。河畔のロッジに住まう老人たちは、キリストの弟子たちのようにも見える。

こんな風に書くと抹香くさい映画のように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。

ポー川河畔の自然は美しく、ゆったりと流れる時間を楽しませてくれるし、キリストさんとあだ名された哲学教授と老人たちとの交流は、人が本当に必要とするのは、人の肌のぬくもりであり、語らいであることを静かに語ってくれている。

声高に主張する映画ではないのだが、じんわりと心に染みる映画だと思う。

主演の男優さんが本当にキリストさんというのにふさわしいお顔立ち。
イスラエルの方だそうです。妙になっとくしてしまった・・・。

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