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映画鑑賞記録
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観賞日 2011年4月23日(土)
場 所 シネマサンシャイン池袋
監 督 波多野貴文
制作年 2010年

普段なら絶対この手の映画は見ません。アクションシーン駄目なんですよ。ああ~痛そう!!て思っちゃうので。しかしながら今回は同行した「若いお友達」のリクエストにこたえてみる事となりました。人気TVドラマ関連の映画だそうですが、私は一回もそのTVドラマを見ていません。その状態で大丈夫なのかしら?と思いましたが、TVドラマを見ていなくてもちゃんと筋がきはわかりました。なかなか良くできた映画でした。アクションシーンとかすごく迫力があって、おお~日本映画でもなかなか迫力あるじゃないの~!!と感心したのですが、そこまででした。

おいおい、あれだけ激しい格闘シーンを展開し、効果音ばっちりでぼっこぼっこにお互い殴り合っているのに、どうしてこの人たち全然お顔に傷がないの?足を撃たれた人間が足を引きずりながら歩いているのに、どうして血痕が落ちているシーンがないの?やっぱり堤真一とか岡田准一とかのきれいなお顔に傷をつけたり汚したりしたら、ファンが怒るからでしょうか?それとも、TVドラマ発だから、R-15指定とかにしたくないから?脚本やアクションがリアルさにこだわってい割に、そういう画面でのリアルさの追求が甘いような気がするのは、ディテールフェチ気味の私だからでしょうか?そのあたりがもう少し突っ込めていたらもっと面白かっただろうになあと思います。

まあ~それにしても堤真一演ずる非情になりきれない尾形係長はなかなかよろしいですねえ。岡田准一はさすがおきれいなお顔立ち。二人とも目元アップしても瞳の黄金率ばっちりだし。

議場突入場面に使われた「キリエ」はいったい誰の曲でしょうねえ・・・?曲の雰囲気的にはロマン派以降の作曲家のものなんでしょうけど、どなたかご存じないでしょうかしら?
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観賞日 2011年4月9日(土)
場 所 ル・シネマ
監 督 ルネ・フェレ
制作年 2010年
制作国 フランス

ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトの4歳年上の実姉マリア・アンナ・モーツアルトの映画ができたと聞いて、日本で封切られる事を楽しみにしてきました。そして、ついに今日が初日。ネットでチケットを手配して初日・初回で観賞。初回特典として、モーツアルトチョコレートをもらいました。初日はこういう特典が嬉しいですね。


見終わったあと、微妙~なものが残りました。小説やマンガを原作として実写映画化された作品を見たときに感じる違和感とでも言うのでしょうか・・・・。

モーツアルトは大好きな作曲家で、それなりに彼の人生のトピックスについて知っています。なまじ知っているから、この作品の人物配置が歴史的事実とずれてしまっている事がどうしてもしっくりこないのです。

最初からラストまでこの違和感をひきずることになってしまい、ちょっと残念でした。わざわざモーツアルトという実名を出さず、天才少年とその家族の物語として描いてくれていたら良かったのにと思いました。


ストーリーの方は今一つ納得できませんでしたが、映像は興味深いものがたくさんありました。ベルサイユ宮殿のシーンなどはきれいでした。
一番興味深かったのは、ルイ15世の王太子の棺台ごっこのシーンです。ルイ15世の王太子は最初の妃を熱愛し、出産で妻が亡くなった後、亡き妻をしのんで棺台に横たわり、いまわの際を再現するという変な遊びをしていたという話を本で読んだのですが、よもやこれを実写でみるとは思いませんでした。

もしも、私が18世紀フリークでなければ、ストーリーも面白い作品だったと思います。でも、史実とだいぶ違う再構成作品だという事はご承知なさったほうがいいと思います。
観賞日 2011年4月2日(土)
場 所 銀座テアトルシネマ
監 督 マイケル・アプテッド
制作年 2006年
制作国 イギリス
原 題 Amazing grace

18世紀オタクを自認する私としては、予告編を見たときから絶対みようと思っていました。アメイジング・グレイスは有名な讃美歌と知っていましたが、まさか背景にこんな物語があったとは知りませんでした。

現代に生きる私たちにとって、当たり前のものが、過去においてはそうではなかったと思い至ることはあまりありません。同じように、今私たちが当然と思っていることが、未来において否定され、社会のあり方が大きく変わっているかもしれません。社会のあり方は、変化していくものなのですが、変化しようとする力と、変化を拒む力の対立はいつでも存在するものなのでしょう。

この映画は「奴隷貿易」が当然のものと思われていた時代に、その廃止を求めた一人の政治家ウイリアム・ウィルバーフォースの生涯を描いています。既得権益を守ろうとする勢力と、同じ人間を奴隷として売買する事に抵抗しようとする若い勢力とのせめぎ合いは、過去の物語でありながら、今に通じるものでもあります。

社会の価値を変化させる事の難しさはいつの時代も同じでしょう。しかしながら、苦しみながらもあきらめずに働きかけていく人間がいなければ、この社会は変わっていきません。

18世紀のさまざま事に興味を持つようになって、今ととても似ているように思います。時代が大きく音を立てて変化していく時代に入ったのだと思います。できれば変化に伴う犠牲はできるだけ少なくあってほしいと願わずにいられません。

過去を学び、未来を選びとるために、どう行動するべきか。そんなことを考えさせられる映画でした。ぜひ、若い方たちに見てほしい映画です。


日本では、「政治」が自分と遠いところにあるものと思っている人がおおいのですが、国の方向を決め、私たちの生活の根本を支えるのが「政治」です。震災で混乱しているものの、今年は統一地方選挙の年なんです。
私たちの未来を託す政治家を選ぶという自覚をもって、選挙に臨みたいものです。
観賞日 2011年2月26日(土)
場 所 TOHOシネマズ府中
監 督 トム・フーバー
制作年 2010年 イギリス・オーストラリア

イギリス女王エリザベス2世の父親で、あの「王冠をかけた恋」で有名なエドワード8世の退位後王位についたジョージ6世の物語。最初は渋谷のル・シネマで見ようと思ったのだが、ネットで席を確保しようと思ったら、予約が一杯だったので、府中で見ることに変更。封切り日2回目の上映は結構な入りだった。聞くとTVコマーシャルがだいぶ入っていたとのこと。

物語は吃音障害をもったヨーク公が妻エリザベスと言語療法士ライオネル・ローグに支えられ、吃音障害を乗り越え、同時に国王としての自覚に目覚めていくというストーリー。実話が元になっているそうだ。
王位継承をめぐる兄と弟の確執は、どこでもあるのだなあ・・・と妙にどこぞの御兄弟を思いだしてしまったりして。

ジョージ6世役のコリン・ファースも、言語療法士ライオネル・ローグ役のジェフリー・ラッシュもすごくいい味出してました。あまり俳優の名前を覚えられないので、この俳優さんどこかで見てるなあ・・・と思ったら、「シャイン」のデビット・ゴットヘルフ、「クイルズ」でサド侯爵役を演じていた人でした。どちらも印象的な役だったから、記憶に残っていたという事か。

それにしても、ライオネル・ローグって本名だったらなんだかすごいです。ライオネル=ライオン、まあ勇敢なっていう象徴的な名前ですよね。ローグ(Logue)=言葉を表す結合辞(ダイアローグやプロローグのローグ)とくれば、偶然にしてはできすぎてないか?って思ってしまいます。

映画の中で、それぞれが相手を呼ぶ呼び方で、その関係を暗示する場面が何度も出てきます。字幕担当者の他に監修者の名前が出ていたので、称号その他王室物と言うことで監修者がついたのかな?とも思いました。

私は家族と、よほど親しい人以外に名前で呼ばれる事がほとんどない。その為か、さほど親しくない人に姓ではなく名前で呼ばれる事にとても抵抗を感じる。ヨーク公(ジョージ6世)がライオネルにバーティ(アルバートの愛称)と呼びかけられることへの抵抗感は妙に共感できた。

ストーリーとしてものすごく斬新な訳じゃないけれど、脚本もとてもうまいし、演出も説明的すぎないけれど、さりげなく人物それぞれの性格付けや立場などをきちんと表わしていてよかった。俳優の演技も自然でユーモアがあって楽しめた。


鑑賞日 2011年2月19日(土)
場 所 ユーロスペース
監 督 アッバス・キアロスタミ
製作年 2010年
製作国 フランス・イタリア

文章を書く時には「起承転結」をはっきりさせなさいと言われる。映画のストーリーにも多くの観客は無意識のうちに「起承転結」を求めてしまう。しかし、フランス映画はどうも明確な「結」、すなわち「オチ」をつけるのが嫌いらしい。この映画も期待通り?明確な「オチ」がない。「オチ」は勝手に見る人間がつけてくれて結構です!的な突き放し感満ち満ちで終わる。

そもそもこの映画は最初から主人公の二人の関係設定が曖昧で、見る人間がちりばめられたセリフのどこを繋ぎ合わせていくかによって、最低でも二つのストーリーが生まれるように仕組まれている。見方によってはいかようにも二人の関係とストーリーを読みとれるようになっている。そのうちのどれがオリジナルでどれがフェイクだと決められるものではない。というか、明らかにそれを狙っているのだから。

英語・イタリア語・フランス語が交錯するセリフの中で、一体どれが彼らの真実の関係を表しているのか?最初はそんな事を考えていたのだが、見ていくうちに、この作品で監督は人生や人間の関係の曖昧さ、答えの無さ、それでいて、人間そのものの存在や複数の人間が相対するときに生まれる感情のリアリティを描きたかったのではないかと思った。反抗的な子供にいらつく母親、夫の仕事中毒を嘆く妻、些細ないき違いをなじられ憤慨する夫、セリフはみるものが身につまされるものばかり。でも、この二人は本当の夫婦なのか、それとも、単に成り行きでその役割を演じる「夫婦ごっこ」をしているだけなのか・・・・?
映画は最後まで種明かしをしない。

多くの人間が、場面場面で様々な顔を持ち、その場に相応しい役を演じている。その事を自覚することは少ない。どの顔が「オリジナル」でどの顔が「フェイク」であるかなんていちいち考えてはいられない。しかし、はたと立ち止まってみると、自分が「オリジナル」と思っている人生は、実は、演じているもの、相手に合わせて作り上げた「フェイク」なんじゃなかろうか?と感じてしまう瞬間があったりする。

人生に明確な答えはない。数学の計算のような正しい答えもなく、化学実験のような再現性もない。揺らぎながら過ぎ去っていくものでしかない。だけれども、瞬間瞬間に生まれる感情を、これがオリジナル、これはフェイクと切り分ける事ができるのだろうか?

映画を見終わって感じたのは、「人生には正解はないけど、今生きているってことはどうやら確からしい。喉が渇いたし、トイレにも行きたいから・・・。」なんて変な感慨だった。

演じている俳優がものすごく自然でリアルな存在感だったからこその作品だと思う。やっぱり、恐るべし、ジュリエット・ビノシュ!相手役のウイリアム・シメルって有名なイギリスのテノール歌手だそうだ。
どうりで魅惑的な声と佇まいだなあと納得。
明快な主張、ただ一つの結論を映画に求める人は、この映画はお勧めしにくい。最後のシーンにどれだけのストーリーを見つけられるか、それを楽しもうと思う人になら絶対にお勧めしたい。


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