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映画鑑賞記録
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鑑賞日 2011年11月12日(土)
場 所 渋谷UPLINK
監 督 ミシェル・オゼ ピーター・レイモント 
製作年 2009年 

異色のピアニスト、グレン・グールドの生涯を追ったドキュメンタリー。
凡人にとって、天からの恵みを与えられた「天才」は憧れと崇拝の対象となるのだろうけれど、実際、「天才」と呼ばれる人達は、大変なんじゃないだろうかと思う。

今年は モーツアルト、イブ・サンローラン、ゲーテ、グレン・グールドと天才と呼ばれる人達の人生を題材にした映画を見たけれど、「天才」って大変だなあ・・・・と思わざるを得ない。

ゲーテはとても長生きだったし、失恋で心の痛手を負ったとしても世俗的な意味で王道まっしぐらみたいな人生で、天才ゆえの理解されないという苦悩したと言う印象はあまりない。しかし、モーツアルト、イブ・サンローラン、グレン・グールドは、与えられた才能に繊細な神経が耐えきれず、苦しみを抱えながら、それでも、人々に光を与え続けたという印象が強い。

バッハは好きな作曲家だし、ゴルトベルク変奏曲は好きな作品でよく知っていたけれど、グレン・グールドの演奏を聴いた時には別の作品のように感じたことを覚えている。とにかく、はっと目が覚めるというか、神経に針が刺さる感じというか・・・。ただ単に音楽を聞くのが好きな私にとって、その演奏が好きか嫌いかということしか判断できない。彼の演奏は好きだ。

時代の変わり目に生まれた天才は本当にカナリアのようだと思う。変化を真っ先に告げて知らせるが、我が身を犠牲に捧げることになる。彼と同時代の名演奏家はたくさんいたけれど、彼ほど録音技術と演奏の可能性に深くかかわった人はいなかっただろう。今では当たり前に行われている事だとしても、彼が始めた時には全て理解された訳ではない。最先端を切り開いた彼は、孤独と無理解に晒された。

50歳の誕生日の翌日に亡くなった彼は、かつて、自分は50歳で死ぬだろうと予言めいたことを言っていたそうだ。ちょうど半世紀の生涯。彼にとってその時間は短かったのか、長かったのか?凡人には「天才」はいつだって謎なのかもしれない。

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鑑賞日 2011年11月5日(土)
場 所 TOHOシネマズ府中
監 督 ポール・W・S・アンダーソン
製作年 2011年 フランス/アメリカ/イギリス/ドイツ

予告編を見て、公開を楽しみにしていました。完全な娯楽作品だという事は120%わかっていましたので、もっぱら楽しみは、悪女ミレディ役のミラ・ジョヴォヴィッチの衣装とアクションです。舞台は17世紀フランスって事なんですけど、実際そんな事はどうだっていいんです。だいたい、木製のでっかい船を熱気球の理論で浮かばせようなんて、荒唐無稽もいいところです。特に動力もない熱気球がどうやってフランスとイギリスを行き来できるのさあ????とにかくド派手なドンパチやって、ジョヴォヴィッチがきれいなドレス姿で華麗になアクション見せてくれてるってだけでいいんです。二枚目俳優のオーランド・ブルームが、バッキンガム公爵といういけすかない敵役を演じているのだけれど、リーゼント調の頭が超笑えます。オーランド・ブルーム、案外この路線行けるかも!

3Dは眼鏡の上に3D眼鏡をしないといけないし、3D酔いするので今回は通常版を見たんですけど、そのせいか、CGはCGという質感で、ちょっとちゃちい感じになってしまいますね。なんだか、ゲームの画面を見ているような感じといったらいいのか・・・・。

全体に、登場人物がみんなおバカっぽい感じなんですよね。枢機卿のリシュリューも私のイメージではもっと狡猾で怜悧な感じなんだけれど、結構愛すべき悪役風。ロシュフォール隊長に至っては、単純すぎてねえ・・・。

こういう映画は全然頭使う必要ないし、ミラ・ジョヴォヴィッチの脚線美やら、胸の谷間とか堪能できて、行け行け!やっちまえ~!!って感じでストレス解消にはなりましたわ。ラストはどう見ても、続編作る気満々っの終わり方。次回はどんな陰謀とドンパチの素材が出てくるのかしら?ミレディの悪女っぷりがパワーアップしているなら、また見たいもんです。




鑑賞日 2011年10月29日(土)
場 所 TOHOシネマシャンテ
監 督 フィリップ・シュテルツェル
製作年 2010年 ドイツ

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと言えば、18世紀~19世紀に活躍したドイツの巨匠で知らない人はいないと思う。ゲーテはなんとなく19世紀の人のような印象が強いけれど、活動期間としては18世紀と19世紀とほぼ半々といったところか。

ゲーテの出世作「若きウェルテルの悩み」の執筆秘話みたいな筋立ての映画なのだが、
「若きウェルテルの悩み」が、ゲーテの実体験をもとに創作された書簡小説なのだが、この映画は更に、それをモチーフに脚色したラブ・ストーリーで、なかなか面白かった。

ゲーテはハンサムで、金持ちの出身で、才能に恵まれた、ちょっと嫌みになるくらいな奴なわけです。下手をすれば、鼻持ならない若造なわけですが、アレクサンダー・フェーリンクが、まだ若くて分別が付いてないゲーテをのびのびと演じていて実によいです。ドイツ系の王子様キャラにぴったり。ヒロインのロッテ役のミリアム・シュタインも可愛くて生き生きとしていて、まさに青春映画~!!爆発した鳥の巣みたいな巻き毛がなんとも言えずロッテのキャラを引きたててます。ロッテの婚約者ケストナー役のモーリツ・ブライブトロイがまたいい味出しているんですよ。実直で不器用な男の切なさと可愛らしさがにじみ出ています。

この作品を見ていて、2009年の秋に公開された「ジェーン・オースティン~秘められた恋」を思いだした。ゲーテの恋の相手、ロッテは多くの家族を養ってくれるケストナーとの結婚を選び、ジェーンの恋の相手、トムも今まで援助してくれて来た親戚の娘との結婚を選ぶ。この時代、結婚は愛の帰結ではなく、生活をかけた契約であったりする。ゲーテもオースティンも実らなかった恋を、創作に昇華させたんだろうと思う。逆に恋が成就していたら、その後の彼らは一体どうなっていたんだろう?

帰って来てから、ウィキでゲーテの生涯を調べてみた。ゲーテは恋多き男で、年上から年下まで幅広く守備範囲としていたようだ。最近再婚した某芸能人ばりに、70すぎて孫のような少女に求婚したと言うのだから恐れ入る。たくさん恋をしたゲーテは結婚していないのかと気になって調べたら、39歳の時に、兄の就職の世話を頼みに来た23歳の女性を見染めて、口説き落として内縁の妻にしたんだそうです。さっさと結婚すればいいのにって思いますけどねえ・・・。ゲーテは一回婚約したのだけれど、いろいろ家同士の間で調整がつかず、結局結婚できなかったという過去もあったようで、結婚におよび腰だったのかもしれませんね。内縁関係というのは、別段男にとっては不自由なことってないんですよね。実質的には何の問題もない。成人できたのは長男だけだったようですが、何人もこの内縁の妻はゲーテの子供を生んでいるんですよね。女性側としては、内縁関係って法律的な保障がないから困るんですけど。1806年にヴァイマルにフランス軍が侵攻してきたときに、内縁の妻が彼を救ってくれたのでやっと結婚したっていうのだから、全く偉人ゲーテも意気地がないなあと思ってしまう。確か、「落ち穂拾い」を描いたミレーも奥さんはずっと内縁関係で、死ぬ間際になってやっと結婚して席を入れたのですよ・・・。
現代と結婚の意味が違うにしても、20年も30年も踏ん切りがつかないって言うのは、男の弱さなんでしょうかねえ・・・・。

ロッテは家族の為、穏やかな生活を保障してくれるケストナーを最終的には選び、
ゲーテの才能の為にも恋の成就は適わないのだと潔く身を引く事になるのですが、恋と結婚はやっぱり別物なのかも・・・って思うし、でも、短く燃え上がった恋が、才能によって昇華され、普遍的な文学作品になるのだとしたら、それはそれで、幸せな失恋なのかもしれないなあ・・・と思います。

鑑賞日 2011年9月11日(日)
場 所 TOHOシネマズ府中
監 督 マイケル・ガントン、マーサ・ホームズ
製作年 2011年 イギリス

BBC作成のネイチャードキュメンタリー作品。子供の頃から動物図鑑や動物番組が好きだったので、その延長線上で見に行きました。さまざまな撮影技術を駆使しての映像は迫力満点。映画館の大スクリーンで動物達のとても繊細な表情を見る事ができて楽しかったです。

特に凝ったストーリー性があるわけでもありません。むしろ淡々と動物達が生きる姿を追いかけているといった作りです。だからこそ、むしろ、動物たちの生に対する誠実さを感じる事が出来ました。

人間は生きる意味とかを考えてしまいがちですが、とにかく、生きている、それだけですごい事かもしれないって、動物たちの姿を見ていると感じました。

まあ~それにしても動物の子供たちのなんと可愛らしいこと!!子供とはいえども、けなげに生き抜くために頑張っている姿を見ると、自分も頑張らなくてはいけない!!って気持ちが自然に湧いてきます。

迫力の映像に、まったりと癒された時間でございました。


鑑賞日 2011年7月9日(土)
場 所 新宿武蔵野館
監 督 ジャン=ピエール・ポッツィ/ピエール・バルジエ
製作年 2010年 フランス

パリ近郊の「教育優先地区」にあるとある幼稚園での取り組みを追いかけたドキュメンタリー映画。「教育優先地区」と聞くと、私達は教育モデル地区のようなものを思い浮かべるでしょう。ところが、実は逆なのです。教育の成果が上がりにくく、教育に対し特別な配慮や支援が必要とされる地区の事です。

画面から読みとれるのは、移民が多く住む下町の幼稚園であるということ。そこで行われている取組が、年中・年長の子供達に対して、哲学の授業を行うというものです。それこそ、大学生ですら哲学の授業が必修ではない日本人にとっては、驚きのものです。

哲学と言うと、なにかものすごく高尚で難しいように考えがちですが、とどのつまりは、「物事について考えること」ということです。そう言葉を置き換えれば、小さな子供達に、物事を考える方法を教えていく授業と捉えることができるでしょう。その事が、将来彼らの為に有益であるという信念が指導する先生の言葉からひしひしと伝わってきます。

大人は皆かつては子供だったのに、自分が子供だった時の事を忘れてしまいます。大人達は子供に聞かせたくない話は声を潜めて話すけれど、子供はちゃんとそれを聞いていたりします。大人達が矛盾したことを言えば、なんだかおかしいと感じます。でも、子供は大人にそれを言葉で伝える術を持たないし、子供が精一杯自分の考えを伝えようとする言葉を、大人は聞きとろうとしません。

自分自身の考えを持ち、きちんと言葉にする教育を、残念だけれど日本では積極的に行っていません。というより、むしろ、自分自身の考えを持つこと、積極的に言葉にすること、自分を主張することを封じ込めようとします。

言葉よりも、態度や雰囲気から相手の感情や考えを察することを重視しようとするのが日本の伝統だったかもしれないけれど、今はあまりにそれがゆきすぎてしまっているような気がします。

哲学の授業と言いながら、それは自分が経験したこと、感じたことを言葉にしていくことを学ぶ授業だなと思いました。子供達は少ない語彙であっても、精一杯自分の考えを相手に伝える為に話そうとします。それを、大人が助けていくことで、どんどん言葉が広がっていきます。

この映画の中の子供達は本当に普通の子供達です。遊ぶことを楽しみ、喧嘩したり笑ったり、疲れて眠りこんでしまったり。

彼らは確かにまだ大人の手助けなしに生きていくことはできないけれど、ちゃんと感情も彼らなりの考えも持っています。まさに、小さな人間です。

二人の子供を育てる中で経験してきた個性の発露を懐かしく思いだしながら、子供の持つエネルギーに笑ったりしみじみしたりできる良い映画でした。

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